さて、今年もお祭りのシーズンになりました。私が住んでおります音羽(文京区)地域でも、9月1日、2日にお祭りが行われます。
このお祭りは、今宮神社例大祭ということで、地元にある今宮神社を祭る行事として行われております。
ところで、この今宮神社ですが、この地域の江戸時代の古地図には見あたりません。地元で重要な位置づけである神社なんですが、一体いつ出来たものなのでしょうか? あるいは京都にある有名な今宮神社とは関係あるんでしょうか?
などと、以前から気になっておりましたので、夏休み自由研究として調べ学習しましたのでご報告いたします。
経緯を調べたところ以下の話のようです。
1)5代将軍徳川綱吉は、母(徳川家光の側室)桂昌院の願いを受けて、護国寺を建立
2)その際に、京都の出身であった桂昌院の願いにより、京都にある今宮神社の分社を護国寺の敷地内に建立
3)明治になり、明治政府より「神仏分離令」が発布され、お寺と神社の分離が政府から求められるようになり、護国寺敷地内にあった今宮神社は現在の場所に移転
ということで、音羽の今宮神社は京都にある有名な今宮神社の分社であり、また将軍綱吉のゆかりの神社ということのようです。
大きさ的には小さい神社なのですが、深い歴史のある神社のようです。
わたしたち音羽の町会では、お祭りの際に、山車やお神輿で、音羽通りの北端にある護国寺を出発してと南側にある今宮神社に向かいます。おそらく神仏分離されてからの習わしなんでしょう。
ところで先日、家族で日光の東照宮に行ってきました。東照宮は徳川家康を祭った神社ですが、有名な鳴き龍のある
本地堂は、お寺でした。なぜかここは神社の敷地内にお寺があることが許されたようです。さすがに家康を祭った神社ということで、東照宮だけは明治政府も大目に見たのかもしれませんね。
このへんの歴史は本当に興味深い話であります。